ミセス・さらさ

最近良く日本のテレビ番組を録画した物を観るのですが、こんなCM↑があって萌えました。人形のアニメ
ーションなのですが、もう放送されていないのかな?何と言うか、やはり「萌え」の本質は、こう言った素朴
なマテリアルの中に垣間見てこそと考える訳ですよ。提供されるものではない、自ら見出す物なのです。
昨今、お膳立てされた「虚飾の萌え」が蔓延る中、久々にキましたね。

何言ってるか分かりませんか?じゃあもういいです。

CMの中では、睨み顔や、白衣+眼鏡姿も登場するのですが、それも捨て難かったです。そうですか・・・
クエン酸ですか。さらさ。私の時代ですと「白さと香りのニュービーズ」とか、全温度チアーですが、最近は
洗剤もナチュラル主義なんですね。手に優しいのは良い事です。私の手など、ケミカルでボロボロです。

余談ですが、リアル・キャラ部門では、【サントリー金麦】のCMに出てくる元気な女優さんがツボりました。
幾つかバージョンがあるらしいのですが、私が見たのは、「あのねー!あのねー!」と叫びながら疾走す
るCMです。いいね・・・勢いがあっていいね。調べたら、やはり宝塚女優さんでした!私の目に狂いは無
かった。ジェンヌはオーラが違いますよ。私のアンテナに必ずキャッチされます。スプーを描いた、しょうこ
お姉さんも然り。

何言ってるか分かりませんか?じゃあもういいです。




地下鉄の話2

↓ちょっと長い話になるよ(笑)

去年(2009年)の残暑御見舞い絵にて、札幌市営地下鉄の脱線事故について書いたのですが(これ)、
直後、ジモティの同志から「知りませんでした」的メールを貰いました。そこで、事故についてもう少し詳し
く調べてみようと(曖昧な記憶の確認)、ネットで検索したのです。しかし!どの資料にも、当時シェルター
をブチ破った脱線事故の記録は見当たらず(探し方が悪かったのか?)、だんだん記憶に自信が無くなっ
てきたのです。「大した事故じゃ無かったのかも?子供の頃だから、ちょっとの事を大袈裟に記憶した?」
故郷の両親に確認すると、親父は「知らん」と言い、ママンは「何かそんな事があったような」と、頼りない。
「親戚にも訊け!」と言うと、「そんな事より、たまには良い話でも聞かせろ!」と、怒られてしまいました。
こうなったら意地でも調べようと、ヤフー知恵袋で訊いてみました(笑)↓

消えちゃうかもしれないけど

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1229391417

回答感謝!って一件!?しかも基本的に「分かりません」です。ますます記憶に自信がなくなりました。
無実の罪で取り調べられ、「オマエがやった」と繰り返されるうちに、だんだん自分がやったと思えてくる
冤罪者の心境です(分かり難い例え)。何せ30年以上昔の事ですからね〜

だめだ。もうどーでもいーや。南北線さん御免。適当な事を吹いてしまいました。訂正するのもメドイので、
開き直って放置します。私が悪うございました。

無責任な月日は流れ・・・

そんな経緯もすっかり忘れたある日、あの事故を調べ上げたと言う猛者のメールが舞い込んだのです!

メールには昭和46年(1971年)9月4日の新聞記事(事故があったのは1971年9月3日)が添付され
・・・ちょっと載せちゃいますね。





















突き破っとる!めっちゃ突き破っとるやん!そりゃ牛乳値上げ話し合いも決裂するわ・・・(違)
そうです・・・これぞまさに、当時の「子供たかひろ」が見た真実だったのです!(今さら自信復活?)

てゆか、このイメージ画はイケてますね。自分で言うのもナンですが・・・脱線アングルも正確w

記事の内容を掻い摘んで説明すると・・・

以下引用

1971(昭和46)年9月4日(土)北海道新聞朝刊第1社会面

「試運転中の電車脱線」
「札幌地下鉄で初の事故」
「シェルター突き破る」
「運転士ら二人けが」
「ポイント確認ミス」

前二両が脱線、一両目の前部が、高架部分を雪よけのためおおっているシェルターを突き破り、二メー
トルほど外へ飛び出して止まった。運転席のガラスはメチャメチャに破れ、前部の“案内輪”もへし曲
がって動かなくなった。

事故当時は駅を発車したばかりで、加速度がついておらず、時速は二十キロ前後。このため電車の
前部が二メートルほど突き出ただけで止まったが、もっとスピードが出ていたら、シェルターを突き破り
下へ転落する危険もあった。

引用終わり

なるほど〜・・・やはり事故が起こったのは試運転段階だったのですね。開業時には、ATC装置が
作動していますが、試運転時だったので、それが切ってあったとの事。

さてさて、これで気持ちのモヤモヤがスッキリ晴れた訳ですが、サイトに記述した私自身が忘却した
後にまで、ご好意で調べ続けて下さった同志に感謝します。また、これら回想録は、決して札幌市営
地下鉄を責める目的では御座いません(笑)。あくまでも私の曖昧だった記憶にケリを付ける為です。
とは言え・・・資料の片隅にでも事故の事実を記してくれれば良かったのに・・・。やはり、これは封印
したい黒歴史なんでしょうかね?

回想ついでですが、いろいろ懐かしい当時を思い出しました。昭和46年と言う事は、私が6歳の時
です。当時は江別市の大麻(おおあさ)という町に住んでおりました。この地下鉄事故はテレビで見
た筈です。小学校2年の時に札幌に引っ越しますが、暫くは地下鉄に乗る事はありませんでした。
ある日、親父が「地下鉄に乗ってみるべ」と言い出しますが、ママンは「事故が怖いからやだ!」と
頑なに拒絶!仕方なく、親父と二人で乗ったのです。私の住む場所から近い地下鉄駅は、北24条
駅(当時はここが終点。北34条〜麻布までは、その後延びた)です。最初に驚いたのは、当時は
最新だった自動改札口です。ここで、親父がキップの入れ間違えで「お約束」の通せんぼ。子供心に
「やっぱ地下鉄に乗るのは厳しい審査があるんだ」と思いました。そして電車がホームに来る直前、
先ず、電気が通る音がするのですが(「ピューン!」という連続音)、それが怖かったですね。電車に
乗ると、「音が静か」と聞いていた割りに「ガタゴト!」「ゴー!」「ヒューン!」と騒々しく、「なんだ、
こんなモンか・・・」と、ガキの癖に生意気な事を思いました。

この地下鉄南北線には、高校生時代までお世話になりましたが、電車内で女子校の生徒をナンパ
して玉砕したり、ホームで煙草を吸って補導されかけて逃げたり、乗車区間をオーバーしてしまい、
お金が一銭も無かったから自動改札機を強行突破したり・・・ロクな事をしなくて本当に申し訳ない。
人生やり直せるなら、きっと良い子になって乗車するので、許してくれ南北線初期型!











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